【原爆ドーム】戦争の悲惨さを伝える「負の世界遺産」

広島市にある朽ちた痛々しい建物、原爆ドーム

今では世界遺産に登録され戦争の悲惨さを伝える負の遺産として保存されています。原爆ドームはどのような歴史を辿って来たのでしょうか。


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原爆ドームは、広島県広島市中区にある建築物で、現在は広島平和記念公園内に位置しています。


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1915年に広島県物産陳列館として開業し、広島県で生産された物の販売や美術展などが開催され、広島の発展に貢献していました。

当時としては非常に近代的な建物で、チェコ人の建築家ヤン・レッツェルによって設計されました。


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1921年には広島県立商品陳列所に、1933年には広島県産業奨励館に改称され、戦前の広島を代表する建築物として発展していきました。

 

しかし、1945年8月6日午前8時15分17秒、米軍が原子爆弾リトルボーイを投下し、16万6千人が死亡しました。

 

 

この原爆によって、周辺のほぼ全ての建物が崩壊しましたが、原爆ドームは原型をとどめ、被爆の様子を伝える貴重な建築物となりました。


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その後、1949年に広島平和記念都市建設法が施行され、広島平和記念公園構想ができ、1953年には広島平和記念公園が完成しました。

そして、原爆ドームは公園内に残され、広島の原爆の悲惨さを伝えるシンボルとなりました。

 

 

1960年代には、原爆ドームの劣化が進み、取り壊される風潮がありましたが、被爆者の楮山(かじやま)ヒロ子さんの「あの、いたいたしい、産業奨れい館だけがいつまでもおそるげん爆を世にうったえてくれるだろうか」という日記の一言で保存されることになりました。

楮山さんは被爆者であり、原爆ドームを保存することで被爆者の思いを後世に伝えることができると訴えました。

そのため、広島市原爆ドームを保存し、現在に至っています。


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1996年には、原爆ドーム世界遺産に登録され、世界的に戦争の悲惨さを伝える場所となりました。

原爆ドーム世界遺産に登録されたことで、多くの人々がこの場所を訪れるようになりました。

訪れる人々は、原爆の恐ろしさや戦争の悲惨さを肌で感じることができます。

 

 

原爆ドーム周辺には平和記念公園があり、平和記念資料館が建てられています。

平和記念資料館では、被爆当時の様子や被爆者の体験談が展示されており、戦争や原爆について深く考えることができます。


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平和記念公園には毎年、原爆投下の日である8月6日には、平和記念式典が行われ、被爆者や遺族、多くの市民が集まって犠牲者を追悼する場となっています。


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原爆ドーム周辺には、平和を願うメッセージや平和に向けた活動を呼びかける様々なアート作品が多数展示されています。

例えば、被爆者の願いを込めた色とりどりの折り鶴が展示された千羽鶴の塔」などがあります。


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原爆ドームは、被爆者や遺族の思いを胸に、世界中の人々に平和を願う場所となっています。

一度訪ねると、戦争の悲惨さを肌で感じ、平和への思いを新たにすることができます。


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